石巻でつくる —— 被災地の記憶と〈地元からのアート〉
このレポートは、「Artist In Residence 石巻 2023」でお招きした、香川檀さんに執筆いただいたものです。
石巻でつくる —— 被災地の記憶と〈地元からのアート〉
シティスケープ
石巻には、市内を流れる旧北上川のなかの岸辺ちかくに、地名の由来となった「巻石」という小岩がある。川面の下にはかなり大きな岩が隠れていて、その昔、川の水がこの岩にぶつかり渦を巻いたことから、そう呼ばれるようになったという。この土地を舞台にした最近の物語に、石巻市の出身である漫画家たなか亜希夫が描いた『リバーエンド・カフェ』がある¹。たなかは震災から7年を経て、初めて生まれ故郷を舞台にした作品を手がけた。コワモテでぶっきらぼう、だがジャズをこよなく愛し、コーヒーで客の心をほっこりさせるカフェのマスターと、学校でいじめに遭って辛い毎日をおくっているヒロインの女子高生との出会い。街中から一歩郊外に出ると、「怖いひと」や「不気味なもの」に出くわすような気配が漂っている。石巻という土地柄の、長く住んだ人にしか分からない闇の一面を、厚い人情とからめて捉えたコミックである。
その一方、石巻には外からやって来た者でもすぐに感じとれる豊かな文化の土壌がある。江戸時代から東回り廻船によって江戸や上方の物資と文化が運ばれただけでなく、近代以降は遠洋漁業の基地として、南半球にまで足を伸ばしチリやペルーの風物を土産話に持ち帰る漁師たちによって国際性が育くまれた。昭和5年にできたタイル装飾の美しいデパート「観慶丸商店」(現在は「旧観慶丸商店」として2階がギャラリー)はいわば街のランドマークであり、古い商店街を下っていくと、住民たちが手作りで2022年に立ち上げた映画館&劇場「シアターキネマティカ」をはじめ、空家を利用したアートギャラリーが点在する。
そんな街の熱量に惹かれてか、震災のあと、県外から石巻に移住するアーティストたちがたくさんいた。これには、作家たちが市内や近辺で滞在制作するかたちの芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」の果たした役割も大きかったにちがいない。震災と津波という「出来事」の現場と関わることによって、自分になにができるのか、自身のアートが被災地にどのように応答できるのかが創作のつよいモチベーションになったのだろう。震災後に東北の被災地のあちこちで見られた、このような外来者によるアート制作について、鷲田清一は次のように書いている。
ムードやイメージで同時代を語り、表現するのではなく、アートからうんと距離のある《普通》の場所で、「この時代にこの場でしかできない」ことに取り組むこと。他の人たちが抱え込んでいるのとおなじ問題に、おなじ場所から、しかし別のまなざしを挿し込んで、そこから別の「リアル」を立ち上がらせること。(…)そこに暮らす人びとが見てなかった何か、考えてなかった何かを、「部外者である私」がそこにいくばくかなりとも具現させようというこの活動は、地元の人たちの意向と合流し、結果としてそこに新しいを出現させる。(『素手のふるまい』、太字強調は香川)²
ここで強調されているのは、部外者つまり当事者でない美術作家が、「別のまなざし」を指し込むことで、現地の人には見えていなかった何かを表現する、ということの可能性である。とはいえ、鷲田が期待をこめて描き出した部外者によるアート制作が、すべて「地元の人たちの意向と合流」できたかというと、必ずしもそうとばかりは言えないかもしれない。被災地で死と直面し、多くのものを喪ったなかで生き抜いてきた人たちにとっては、「ぬるい」と思えるような作品もあったのではないか。震災後のこうした熱いうねりは、2023年現在ではかなり下火になり、すでに石巻を離れていった作家も少なくないという。石巻とアートという関係で見ても、街の景色(シティスケープ)は新しいフェーズに入っている。
若手作家たちの里帰り
一方で、発災当時は他所にいたものの完全に部外者とはいえない地元出身者や、自身が被災している住民のなかにアートの表現者がいることも忘れてはならない。例えば、リボーンアート・フェスティバルを機に、県外から石巻に移り住んだ美術家の有馬かおるさんもその一人である。彼は、犬山や水戸で設けた「キワマリ荘」という自主運営のアートの根城をこの街にも開設し、一軒の古い民家を使って4つのアートスペースを実現した。その後、近隣の花屋の2階にもうひとつのアートスペース「ART DRUG CENTER」を開設。ウェブサイトには次のようなステイトメントが書かれている。
人はアート(芸術)に救われ生きる活力を得ている。石巻の人々はアートに出会い、希望や活力をもらい乗り越えてゆく。この街にいるために、この街を出るために、この街をつなぐために、死んだ人に会うためにアートを必要とする人たちの展示。³
キワマリ荘は、かつての商店街ことぶき町通りから少し奥まった路地の先にある。ここを運営する代表の鹿野颯斗さんは、山形の東北芸術工科大学で映像を学んだのち、2018年から石巻で活動している。2019年のリボーンでは、ART DRUG CENTERで映像作品《接触》を展示した。「この街のてざわりを感じるために」と題されたメッセージは、次のような文で結ばれている。
石巻で生きるということは、石巻から与えられたものと接触しながら自らが変化していくということです。与えられたものとの手触りを感じながら生きていくためにはどうすればいいのかをこの作品を通して考えられればと思います。
同じキワマリ荘でべつのスペースを運営する彫刻家のちばふみ枝さんは、その小さな部屋を「mado-beya」と名付け、定期的に招待作家とともに三人展を開いている。私が訪れたとき、彼女は窓辺の小さな器に入れた小物を展示販売しており、それは震災で津波にあった市内の実家に残された物たちだった。発災当時、当地を離れて暮らしていたちばは、半年後に石巻に戻った。だが、津波の被害を受けた実家はもはや直して住むこともできず、さりとて津波にのまれて命を落とした祖母とともに、家族で過ごした忘れがたい記憶の場として、壊すこともできずに8年間そのままにする。やがて、実家の片付けを再開しようと被災物の記録写真を撮り始め、それを小さな写真集にしたり、家に見学者を受け入れることを始め、2023年にはここをオープンスペースとして開放し、遺された小物などを希望者に譲る試みも行なっている。最近になってようやく、ドキュメンタリー映画監督の松井至さんとの出会いから、映画に実家を記録してもらうことができ(『家は生きていく』2023年)、それを契機にリフォームを見据えて被災した家財道具を片付ける決心がついたのだという。
〈ど真ん中〉は語らない
ちばさんは東京の武蔵野美術大学大学院で彫刻を専攻していた。彫刻家ちばふみ枝としての作品も、自分と家族の記憶の場としてのイエと関係している。「窓、カーテン、扉、壁、階段など、場を仕切る境界の機能を持った家の一部をモチーフに、記憶の中の風景などを組み合わせた造形」であるという。2017年暮れからキワマリ荘1階のギャラリーで開催した個展「serendipity」の会場風景を見ると、薄い板でできた間仕切りのようなものが、ピンクや黄色などに彩色されて自立したり壁に寄りかかったりしている。彼女はこの展覧会タイトルについてこう説明している。
「serendipity(セレンディピティ)」とは、「偶然出会う幸運」という意味を持ちます。目指していた場所、あらかじめ思い描いていた景色ではないかもしれない現在。そんな中に見出す幸せ、発見する価値は、幸運とはただもたらされるものではなく、自ら獲得していけるものだということに気付かせてもくれる。そんなセレンディピティの連続から、この度の展覧会も開催に至りました。⁴
「セレンディピティ」とは、西欧で18世紀から使われた言葉で、「隠れたものを発見するのが上手なセイロンの王子」に由来するものだという⁵。震災と大津波という未曾有のカタストローフを経験した、いわば傷ついた土地において、死の理解しがたさに覆い尽くされるなかで、何とは名指すことのできないものを遠巻きにするように、その周縁で揺らめくようなささやかな事象に目を止めることも、「徴候的知」と呼べるのではないか。市内にあるべつのアートスペース「The Roomers’Garden」を運営する平野将麻さんと、名古屋大学の大学院で学びながらアート制作をしているさいとうえなさんは、「ネウ(neu)」というユニットを組み、2023年10月に二人展「ごぶじでね」を開催した。関連イベントとして、シアターキネマティカを会場にしたパフォーマンスとトークの夕べも催された。その名も「Ghost in this October」つまり「この10月の幽霊」。震災のことが連想されるが直接それへの言及がなかったのはなぜか、という客席からの質問に対し、さいとうえなは、名古屋にいるときに宮城出身者の自分は被災者というマイノリティだが、石巻に帰ってくると皆が被災者なのでマジョリティであり、ことさらそのことについて語らなくとも当然のこととして共有している、と語った。また平野は、震災の記憶とはドーナツの真ん中の部分のようなものであって、とってしまっていい、と答えた。この暗黙の共有という感覚と、あえてそこには触れないというスタンスが、「地元からのアート」を考えるうえでとても示唆的であった。
幽霊のでる街で
ユニット「ネウ」の前述のイベントタイトルにあった「幽霊」という語は、被災地における「喪」の作業、つまり死者の弔いと深い関わりがある。冒頭にふれた漫画『リバーエンド・カフェ』でも、怖い幽霊譚が出てくる。石巻では、幽霊を乗せたというタクシー運転手の話をはじめ、亡くなったはずの人を街角で見かけた、というような不可解な現象がいくつも報告されている。
詩人で哲学・郷土史の研究者でもある奥堀亜紀子さんは、この幽霊現象について、それを石巻の土地の記憶と絡めながら読み解いている。彼女が注目する幽霊は、近親者のそれではなく、自分の生活圏でよく見かける人、という程度のいわば地域コミュニティのなかの顔見知りのひとの霊である。
ただこの町で共に生きてきた人びとが突然に死んでしまったこと、その人びとの気配がなくなった町を目にしてそれでも未来に向かっていかなければならなかった、という意識の中で置き去りになっている死の理解しがたさは町中に拡がっている。⁷
石巻という土地をそういうものとして理解したとき、リボーンのようなアートフェスティバルで、他所からやってきた作家の作品が地元の住民に拒否されたというエピソードが思い出される。志村春海さんは、過去のリボーンで「思いがけずに誰かを傷つけたり、被災時の状況や思い出したくないことを想起させたり、別の意味を持ってしまうことがあった」と報告している。市内の防災無線から流れる時報として電子音の代わりに作家の歌う声を流したところ「津波の犠牲者の声に感じて怖い」と中止の要請が寄せられたり、フェイクの手足のような身体部位が下半身から生えているセルフポートレート写真を浜辺に設置したところ「津波被害を連想させる」という声があがって撤去したり、という事例である⁹。
アートスケープ
故郷に戻って表現しようとするアーティストたちが、慎重に距離をとりながらその周縁の部分で「徴候」を掬いとろうとしたり、真ん中の部分はなくてもいい、と語ることを避けたりする、その真ん中とは、死者の記憶にほかならないのだろう。石巻の街がつくりだすアートの景色(アートスケープ)は、その後も変化を続けている。街を離れていく作家たちと入れ違いに、新たにやってきたひとりに志賀理江子さんがいる。大震災で被災してまさに当事者となった彼女は、写真や映像によって土地の記憶と現在を鋭く表現してきた。その志賀さんが石巻の街の中心部にアトリエを構えたのだ。学校帰りの子どもが気軽に立ち寄れるようなオープンスタジオにしたい、と彼女は言う。そのとき、震災の記憶はどんなかたちで彼らに受け継がれていくのだろうか。
注 / 参考
- ¹ たなか亜希夫『リバーエンド・カフェ 1』(初出『漫画アクション』2017〜2018年)、双葉社、2018年(全9巻、2018〜2021年)
- ² 鷲田清一『素手のふるまい——アートがさぐる《未知の社会性》』朝日新聞出版、2016年、13頁。
- ³ https://2019.reborn-art-fes.jp/artist/kaoruarima
- ⁴ https://www.fumie-chiba.com/post/2018/06/10/serendipity2017
- ⁵ 中井久夫『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年、27頁。
- ⁷ 奥堀亜紀子「土地の記憶とともにある石巻研究——序論的考察」、東北大学宗教学研究室編『東北宗教学』vol.16, 2020年12月31日発行、189-214頁。
- ⁹ 志村春海「見えない誰かにアートが届くことについて——Reborn-Art-Festival 忘備録」、筑波大学芸術支援研究室『Art Writing』17号、2023年3月、4-6頁。
武蔵大学人文学部教授。2024年4月より名誉教授。表象文化論、近現代美術史、ジェンダー論。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学(表象文化論コース)博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『想起のかたち——記憶アートの歴史意識』(水声社、2012年)、『ハンナ・ヘーヒ——透視のイメージ遊戯』(水声社、2019年)など。