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REPORT

海辺の家のカーテン―「生きる家プロジェクト2025」についての覚書

2025.06.08井上 幸治読了 約15分

このレポートは、『生きる家プロジェクト2025|オープンスペース兼展覧会「わたしたちはばらばらの場所で」』にご来場いただいた、井上幸治さんに執筆いただいたものです。

海辺の家のカーテン―「生きる家プロジェクト2025」についての覚書

「生きる家プロジェクト2025 わたしたちはばらばらの場所で」は、アーティストのちばふみ枝が東日本大震災で被災した実家を外部に開放する試みとして行われたオープンスペース兼展覧会です。建て直しや解体といった時間の区切りが伴う選択ではなく、アトリエ兼倉庫という時間の持続を可能とする選択がなされたことで、ちばと家との関わりはゆっくりとした時間の下で築かれていくことになります。遅延することを恐れず、ゆっくりと行われる家との関わり(片付け)は、一種の治療的な作業です。

本展では6人の作家(かんのさゆり、菅野泰史、千葉勝子、ちばふみ枝、宮下サトシ)の作品と、永井玲衣の言葉が会場内に展示されています。本会場の特徴は作品を展示するための空間がホワイトキューブではないということです。そのため、壁面と作品との間には常に緊張感があります。たとえば玄関の引き戸を開けて土間に入り込むと、正面の玄関ホールに一点の絵画が展示されています。

[図1]玄関ホール

その壁面には作品を日常空間から切り離して展示するためのフレームが設けられていますが、フレーム下方の内壁は外れていて、間柱が剥き出しとなっています。本来、隠されているべきものが剥き出しとなっていることで、作品と壁面の関係がただならぬことになっていることが分かります。玄関ホールに展示されているのは、ちばの母親である千葉勝子の日本画(《無題》2024年)。それは海水と砂に浸かった過去作品をブリコラージュ的な手法で画面内に取り込んだ作品で、支持体の上に糊付けされた過去作品には向日葵とエンゼルトランペットの花が描かれています。

[図2]千葉勝子《無題》2024年

この「弱さ」は、震災後に何度も問われた問い、「アートに何が出来るのか」という問いを思い起こさせる。出来事の強度に対抗するのではなく、「弱さ」が選択されているのは、それでもなお「描かれなければならない」という作家の応答ではないだろうか。廊下を進むと、2階につながる吹き抜けの空間があり、千葉の日本画がもう一点展示されています(《イマジン》2024年)。二階床下まで浸水した海水の痕跡は指摘されないと気づき難いものですが、わずかに変色したラインが確認できます。この生死を分けるラインは、今、私が立つ場所が津波に飲み込まれた場所であることを伝えるものです。

[図3]会場風景

リビングに入ると、ちばふみ枝の《来客》と題された立体作品があります。それは板状の平面を複数枚組み合わせた作品で、多視点的な作品として、どの方向から見てもレリーフ面が必ず観客から見えるように設計されています。おそらくこの作品を見る正しい位置というものがあるとしたら、それは窓の外側です。窓の外に対する複雑な感情を抱きながらも、カーテンは閉ざされることなく、開かれています。ちばの作品にある開口部は、この部屋を陽光が射し込む「明るい部屋」としています。

陽光が射し込む南窓と対になる北壁には、かんのさゆりの写真作品(《荒野と庭》2015年)が展示されています。それは猛烈な繁殖力で道路の法面を被覆していく葛を写した作品です。あらゆるものを被覆していく自然のカーテンは、あらゆる事物を飲み込んでいき、そこにあった痕跡を覆い隠していきます。もし、そこに何らかの脅威を感じ取るとしたら、それは猛烈な繁殖力で浸食してくる葛に対してではないでしょうか。窓の外の風景を一変させるのは自然だけではないのです。

[図6]かんのさゆり《荒野と庭》2015年
[図7]酒井抱一《夏秋草図屏風》(部分)19世紀、東京国立博物館

生活空間であったリビング内を見渡すと窓枠、棚枠、扉枠と言った幾つものフレームが連続してあることに気が付きます。この連続するフレームの多層性と多重的な連なりはオランダ絵画の幾つかの作品を喚起させます。室内の至る所に置かれているちばの祖母の遺品から明らかになるのは、ここが祖母、母、娘という三世代によって繋がれてきた女性的な空間であったということです。

[図8]会場風景

縁側から和室(座敷)に入ると、書院と床の間に陶器で作られた器が9個、横並びに置かれています。それは宮下サトシの作品(《なぎづち》2019年)で、古代ギリシャ人の衣服のような一枚布を身に纏った人体に、眼と口が描かれた碗形の器が頭部として接着されています。その器には水がなみなみと注がれています。それは供養のための水で、水を注ぐ行為が一つの祈りとされています。津波がそこにあったものを「奪う」ものであるとしたら、祈りのために注がれる水は喪失したものたちに「与えられる」ものです。

[図13]会場風景

家の中で最も奥に位置する個室には、半開きの長持ちが一つ置かれています。その中には黒い海があります。それは菅野泰史の《月光 長持ちの海》(2012年)と題された作品で、石の上に波跡がトレースされています。その波跡は収納棚の中に残されている、この部屋の住人の痕跡とは違い、差異のない痕跡です。収納棚と正対する壁に展示されていた二つの作品(《海のトレース》2016年)は、扉の奥にある暗闇を具現化したような暗い海です。

[図16]菅野泰史《海のトレース》(2016年~)

廊下伝いに玄関方向に向かうと最後の展示室があります。そこは浴室の脱衣所で、そこにある洗面所の鏡台にちばの手によって永井玲衣の言葉が書き込まれています。そこで私が鏡の表面に書かれた言葉を見るには、鏡の前の私自身と向き合わなければなりません。オープンスペースという方法で、私が、この家と関与する経験とは、表面のイメージを追いかけ消費するのでなく、イメージの奥深くへと降りていき、そこにある時間と向き合うことを覚悟するということであったと言えます。

[図17]永井玲衣『世界の適切な保存』(抜粋)

注 / 参考

  • 註1 有岡利幸「かつては有用植物として日本の農家の人たちに盛んに利用されていたクズが、その猛烈な繁殖力で人びとの生活をおびやかすほどの猛威をふるう強い雑草と評価されるようになった原因は、経済の発展そして効率を求める風潮から、里山に人手を入れなくなったことである」『葛と日本人』(八坂書房、2022年、156頁)
  • 註2 小林康夫「海の心理」『光のオペラ』(筑摩書房、1994年、95頁)
  • 註3 永井玲衣『世界の適切な保存』(講談社、2024年)
Profile
井上 幸治

美術批評。主な論文に「風間サチコ論――植民地表層の現在」(『美術手帖』第15回芸術評論入選、2014)、「《波のした、土のうえ》論」(図録『引込線2015』、引込線実行委員会、2015)など。